君には救えないよ

 人間と話していると、特に私の悩み事とか話していると、そりゃあ人側と人間なのでアドバイス的なものをくれたり何かしら言葉をかけてくれるけど、そんなの結局耳に入ってきてないんだよな。

「君に私は救えないよ」ってことだと思う。

 

逆に言えば,私は誰も救えないんじゃないか,周りいる人にかけてやれる言葉なんてないんじゃないかとも思う。

 

8823でこう言っている 

君を自由にできるのは宇宙でただ一人だけ。

モヤモヤ集-随時更新

おんがくのはなし。

音楽に限らずだけど、自分の好きなものを発信する時どうしても「あなたにも分かってほしい」と受け取られてしまっているような気がするし、そんなやり方をしてしまっていると思う。

「わたしが好きなものはこれです」って言いたいだけなのに。むずかしいね。

 

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わたしは、ほんとうはすごくすごく寂しいんだと思う。ずっと見て見ぬ振りしてきたけど寂しいんだろうな。誰かと一緒にいたいし誰かとおしゃべりしたいと思うから。

でもこの目に見えないくらい巨大な寂しさが恐ろしい。際限がない。寄りかかる人ができたらきっと依存してしまう。相手を困らせたくもない。そしてそれを恐れて誰にも安心して寄りかかることができない。

苦しいなぁ。

 

やっぱりそうなんだとこれを3日位痛感して悲しんでいる。特に今居場所として感じているのがTwitterのあるアカウントで、そこにあるコミュニティに寂しさを紛らしてもらっている。だけど、みんなきっといずれ忙しくなるし、いなくなる。わたしとの心の壁もできていく。永遠じゃないんだ、いつかなくなるんだ、また別の場所を探さなくちゃならないんだ、そうしてまだ別の場所を見つけてはここも永遠じゃないんだと離れていくんだ、あぁこれが真実なんだ、と思って悲しくてしょうがなかった。

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誰かと直接会って話すことは楽しい。それはわかる。でも、その後必ず反省をすることにはなる。一旦首でもくくるのかというくらいに落ち込む。そしてその態度は、「そんなことないって、楽しかったじゃん」という常套句を引き出すことになるが、「この人、あんなに楽しい会を台無しにするような発言をしちゃうんだ、思っても言わなきゃいいのに」と思われているかもしれない。

だからネガティブな思考を表現することすら出来なくなり、もやもやもやもやし続けている。自主言論統制が進んでいる。

 

もう終わりにしようと言って一緒に海に入って欲しい

「オーロラにならなかった人のために」というスピッツのアルバムがある。インタビュー記事を直接読んだわけではないんだけど,初期のスピッツは「死とセックス」しか歌わないといった発言をしていたらしい。それを知ってから,だから初期のアルバムがこんなにも手放せないんだろうなと思った。わたしが音楽を聴くときはサウンドをより重視していて、もちろん詩もなんだろうけど,わたしの死にたい気持ちを、より精度高く描き出しているように感じることができるのがスピッツの曲と勝手に思っている。

んー、特にしたい話はないんだけど,いまとてつもなく全部終わりにしたい気持ちが強まっていて、こんなことをうだうだ言っている。

音楽は救済にならない、という悲しすぎる事実に気づき始めてから,どう生きていけば良いのかわからなくなっている。こんなふうに,死にたくなった気持ちを「でも頑張ってこうぜ!」でもなく「うんうんわかるぜ俺も死にたいぜ」でもなくそのまま描き出しているスピッツゆらゆら帝国の曲を聴いたとて、楽になれるわけでもないし,じゃあ死んじゃおうなんて出来もしない。(分からないけど。急に心に決めるかもしれない)

毎日モヤモヤは増えていくばかりで,考え事をしては唸りをあげているから、また別のところで書いておこうと思う。モヤモヤが多すぎて頭が重くなってきた。